MI-L1雑記

〇連休明け。
久しぶりに野外でザウルス取り出して入力開始。
人はなぜ、書かずにおれないのだろう?


〇過剰に書くのが問題、過剰に読むのも問題。
しかしなぜ、人は過剰を目指すのだろう?
過剰な人は目立ち、もてはやされるから?
しかし過剰な人本人に会ってみると、意外と普通の人だったりする。


つまり、「過剰な人」とは、正確には「過剰になれる人」もしくは「過剰になってしまう人」なのではないか。
過剰は、目指すものではない。


過剰な人が、「過剰を目指さないといけない」と語ったとする。
そういうことはよくある。
しかし、そこでちょっと、考えてみたい。


その人は結果的に過剰になれたのだから、それは「過剰に耐え得る能力を持っていた」ということか。
それは私の定義する、「過剰になれる人」のことである。


過剰になれない人が「過剰を目指さないといけない」という言葉を鵜呑みにして過剰を目指すのは、なんか違う気がする。
過剰を目指させて、得をする人物がどこかに隠れているような気がする。


目指さずして過剰になってしまうとするならば、私はそれは良いと思う。
しかしそういう人は、「俺は頑張った、なあみんな、俺が頑張ったって認めてくれるよな?」なんて言わない。
ただ、「いっぱいやっちゃいました。それが私の性分なんで。」なんて言うだろう。


それが「すごい人」のカラクリではないか。


先日買った例の本、「匠の技」を本格的に読む前に、自分の立ち位置をしっかりさせておくために書いてみた。


〇さっき行きつけの喫茶店を出ようとした時の話。
「手でボタンを押して開く」式の自動ドアのボタンを、何度も懸命に押し続けたが、ドアはピクリとも動かない。
訝しがってよく見ると、ドアは最初から全開でしたorz


全開のままで固定されている自動ドアの、端っこにあるボタンを何度も押していた。
スカスカの入り口に、ガラスがあると勘違いしていたというわけ。


恥ずかしい〜


けど最近、恥ずかしいことがあった時に「笑っていただけました?」と周囲を見渡す自分は、オッサンになったなあと痛感。